関根伸夫展
常に、わたしたちの前を前進し続ける関根さん!
「環境美術研究所」に、一区切りつけた現在、
中国、上海の芸術村にスタジオを構え、
上海での展覧会も控えている。
また、NYのグッゲンハイム美術館では、
9月まで、李 禹煥(リ・ウーファン)の展覧会もあったりと、
「もの派」が再考されている流れもあって、
NYのお仕事も忙しそう…。

そんな関根さんの展覧会が、鎌倉山の「鎌倉画廊」で開かれているので、行ってきました。
ずっと以前に、銀座7丁目にあった「鎌倉画廊」。鎌倉に移ってから、初めてです。
三階建てのコンパクトでフラット、機能的な画廊の空間に、
関根さんの70年代に制作されたプロジェクトのプランのドローイング。
そして、それを、現在2011年に具現化された作品などが展示されていました。

私が多摩美の学生の頃は、
時代は「ミニマリズム」から「パフォーマンス」「インスタレーション」など、
ジャンルという枠を超えた表現方法が出てきて、「表現主義」へと流れていた時代でした。
私にとって「もの派」は、知識として知っていたに過ぎない。
私には、その後の「環境美術研究所」の関根さんの方がリアルでした。
当時、狭い範囲でしか美術をとらえられない「美術界の人たち!?」に全く関係なく、
関根さんは、街に作品をずんずん設置していた。

関根さんの彫刻に「温度を与える!」ということで、
色のプランと、実際のペイントを担当した私のお仕事。
[フライング・レインボー @大阪シティエアーターミナル by環境美術研究所]
そして、今回の個展!
その石が、宇宙から自由に飛んできた隕石に見えるような、
スケールの大きさ、自由で、わくわくするような感覚。
作品の圧倒的な存在感。
ほとばしる力強さ。
70年代に見た人が衝撃を受けたであろうインパクトの強さが、
今も尚、空間に満ちていました。
やはり、歴史に足跡を残せる仕事というのは、いつ見ても良いのか。。
私が関根さんの仕事が好きなのか。。
環境美術研究所時代とはまた別に、「生」の関根さんに会ったようで、
何だか、軽くショックを受けて、帰ってきました。
ハァ〜。

帰りに立ち寄ってしまった江ノ島もぼんやり〜
「環境美術研究所」に、一区切りつけた現在、
中国、上海の芸術村にスタジオを構え、
上海での展覧会も控えている。
また、NYのグッゲンハイム美術館では、
9月まで、李 禹煥(リ・ウーファン)の展覧会もあったりと、
「もの派」が再考されている流れもあって、
NYのお仕事も忙しそう…。

そんな関根さんの展覧会が、鎌倉山の「鎌倉画廊」で開かれているので、行ってきました。
ずっと以前に、銀座7丁目にあった「鎌倉画廊」。鎌倉に移ってから、初めてです。
三階建てのコンパクトでフラット、機能的な画廊の空間に、
関根さんの70年代に制作されたプロジェクトのプランのドローイング。
そして、それを、現在2011年に具現化された作品などが展示されていました。

私が多摩美の学生の頃は、
時代は「ミニマリズム」から「パフォーマンス」「インスタレーション」など、
ジャンルという枠を超えた表現方法が出てきて、「表現主義」へと流れていた時代でした。
私にとって「もの派」は、知識として知っていたに過ぎない。
私には、その後の「環境美術研究所」の関根さんの方がリアルでした。
当時、狭い範囲でしか美術をとらえられない「美術界の人たち!?」に全く関係なく、
関根さんは、街に作品をずんずん設置していた。

関根さんの彫刻に「温度を与える!」ということで、
色のプランと、実際のペイントを担当した私のお仕事。
[フライング・レインボー @大阪シティエアーターミナル by環境美術研究所]
そして、今回の個展!
その石が、宇宙から自由に飛んできた隕石に見えるような、
スケールの大きさ、自由で、わくわくするような感覚。
作品の圧倒的な存在感。
ほとばしる力強さ。
70年代に見た人が衝撃を受けたであろうインパクトの強さが、
今も尚、空間に満ちていました。
やはり、歴史に足跡を残せる仕事というのは、いつ見ても良いのか。。
私が関根さんの仕事が好きなのか。。
環境美術研究所時代とはまた別に、「生」の関根さんに会ったようで、
何だか、軽くショックを受けて、帰ってきました。
ハァ〜。

帰りに立ち寄ってしまった江ノ島もぼんやり〜