「色で話す」
「色で話す」
たとえば、「赤」
赤い色から思い起こすイメージは、「火」「花」「苺やりんご」「赤い服」「おめでたい時の赤い色」などなど、人によって様々です。
そして、「絵の具で紙にぬられた赤」「webの画面で見る赤」「光が当たった赤い椅子の赤」「暗い所にそっと置かれたマフラーの赤」仮に同じ赤色だとしても、その物の素材や光の当たり方によって、伝わってくる感じが全然違います。
つまり「色」とは、見る人や見る角度によって、多様に捉える事が出来るのです。
子供達は「色と遊ぶ」ことで、色の濃淡や、色味の変化を思いっきり体験しました。
偶発的に現れた色の重なりや、にじんだ形、引っ掻いてみた跡から、子供達はたくさんのイメージを読み取っています。
そこに、自らの経験を投影しているのです。
それは、ショッキングな出来事であったり、物語の中のシーンであったりもします。そこには、驚いたり、嬉しかったり、怖かったり、ワクワクした気持ちが現れていて、
「光」や「雨」や「かんかん照り」といった天候まで「感じている」ことがうかがえます。
子供達が「色を感じて」話をしてくれていることから、私たちは子供達がどんな環境で何に興味をもって、どんな気持ちで生活しているか、子供達の視点で見て感じることができるのです。
私は「色」を使って絵を描いています。
私にとって顔料や染料でできた絵の具の「色」は、温度や湿度といった肌合いを伝えるための言葉であり、組み合わせることで奥行きを表しています。
何かを感じそれを人に伝えるのは、人として基本的な行為です。
その表現のツールは無限にあります。
仮にそのツールを「色」に限定すると、そこから伝えることができるニュアンスはとても多様です。
子供達が「色と遊び」「色を体験する」ことで、「色という言葉」を読み取る感受性は広がります。
そのことがあらゆるツールで自らのことを話したり、人の話を聞いたりする力に繋がって、コミュニケーションを楽しみ、自分や人の表現を大切にするきっかけになったら嬉しいです。
重松深雪
展覧会リーフッレットカバー面
クリックすると大きな画像でご覧いただけます。


たとえば、「赤」
赤い色から思い起こすイメージは、「火」「花」「苺やりんご」「赤い服」「おめでたい時の赤い色」などなど、人によって様々です。
そして、「絵の具で紙にぬられた赤」「webの画面で見る赤」「光が当たった赤い椅子の赤」「暗い所にそっと置かれたマフラーの赤」仮に同じ赤色だとしても、その物の素材や光の当たり方によって、伝わってくる感じが全然違います。
つまり「色」とは、見る人や見る角度によって、多様に捉える事が出来るのです。
子供達は「色と遊ぶ」ことで、色の濃淡や、色味の変化を思いっきり体験しました。
偶発的に現れた色の重なりや、にじんだ形、引っ掻いてみた跡から、子供達はたくさんのイメージを読み取っています。
そこに、自らの経験を投影しているのです。
それは、ショッキングな出来事であったり、物語の中のシーンであったりもします。そこには、驚いたり、嬉しかったり、怖かったり、ワクワクした気持ちが現れていて、
「光」や「雨」や「かんかん照り」といった天候まで「感じている」ことがうかがえます。
子供達が「色を感じて」話をしてくれていることから、私たちは子供達がどんな環境で何に興味をもって、どんな気持ちで生活しているか、子供達の視点で見て感じることができるのです。
私は「色」を使って絵を描いています。
私にとって顔料や染料でできた絵の具の「色」は、温度や湿度といった肌合いを伝えるための言葉であり、組み合わせることで奥行きを表しています。
何かを感じそれを人に伝えるのは、人として基本的な行為です。
その表現のツールは無限にあります。
仮にそのツールを「色」に限定すると、そこから伝えることができるニュアンスはとても多様です。
子供達が「色と遊び」「色を体験する」ことで、「色という言葉」を読み取る感受性は広がります。
そのことがあらゆるツールで自らのことを話したり、人の話を聞いたりする力に繋がって、コミュニケーションを楽しみ、自分や人の表現を大切にするきっかけになったら嬉しいです。
重松深雪
展覧会リーフッレットカバー面
クリックすると大きな画像でご覧いただけます。

